イブニクル
最近イブニクルというR18 RPGをプレイした。
(コンプリートはしていないが、エンディングまでプレイ済み。)
レビューサイトの評価が高く、難易度も高くない、R18 RPGでは有名なメーカーということで、初めてプレイするジャンルのゲームには良さそうだったというのがきっかけである。
実際にプレイした感想としては、ゲームバランスが想定よりタフで面倒。
中盤以降はストーリーラインを追っていくだけではボスには勝てず、途中で投げ出しそうになった。
ゲーム内でマップ上に次の行き先のアイコン表示がなく、またメジャーなゲームではないため攻略サイトの情報も限られており、右往左往してしまうこともあった。
ストーリーには特に期待してはいなかったけれど、それなりに面白かったし意外性のある展開もあって続きが気になることも多かった。R18シーンはエグいものも多いので、人を選ぶと思う。
ゲームにおけるストーリーと戦闘のバランス
JRPGに代表されるようなジャンルのゲームでは、戦闘パートはプレイヤーがストーリー没入するための重要な要素になっている。タフな戦闘パートも、感動物語の構成要素としての「苦労」をプレイヤーに追体験させる機会になる。
一方で、プレイヤーが関与する戦闘パートは、ストーリーの展開という観点では必要性がない。むしろ、ストーリーを主体とするコンテンツの大半は、消費者がコンテンツに関与出来る要素をほとんど持ち合わせていない。
現代のストーリー重視型のゲームは、ゲームの目的が「戦闘でプレイヤーを煩わせることではない」ことを明確に意識して作られているように思えるし、プレイヤーもそれを期待していると想定される。
プレイヤーが戦闘で死んでもほんの少し前からすぐに何度でも再開出来るようになっていたり、難易度をプレイ途中に変えられたりすることが一般的になっている。
P5Rはオクムラパレスのボス戦が準備無しだとどうにもならないということで、攻略Wikiのコメントが荒れていた。そういった面倒さこそがゲームの醍醐味だと思うのは、今や少数派かもしれない。
イブニクルはファストトラベルなどユーザーに優しいデザインを目指したそうだが、ストーリーにフォーカスがあるのか、R18シーンにフォーカスがあるのか、戦闘にフォーカスがあるのか、全てが中途半端になってしまったように見える。
タイパではなく省労力
必要がないのに、自ら敢えて労力をかけることは、一種の贅沢や趣味になる。
古いパラダイムのゲームのように、「労力をかけることを強制する」ことが娯楽になったのは、あくまで娯楽の少なかった時代の話なのかもしれない。
「不便さを楽しむ」ような風潮も見られる現代社会は、一方で望まないことに労力をかけさせられることには決して寛容ではない。
人々の期待に応えようとするならば、「不便さを楽しめる」ように、「不便な行為を必要性を下げる」ことを続けたうえで、さらに「敢えて不便な方法を採る」という選択肢も残していく必要があるのだ。