きっかけ
久しぶりにHoI2DataWikiというゲームのまとめWikiを見たらアクセス出来なかった。
実際には、ブラウザの「常に安全な接続を使用する (HTTPS)」というオプションが有効になっていたことが原因で、オプションをオフにしたところ以前のようにアクセスが出来るようになった。
HoI2のWikiは過去にも移転や閉鎖があり、今となってはプレイヤーもかなり少なく、ついにWikiも閉鎖されてしまったのかと思い軽いショックを受けた。
Paradox社からソースコードが公開されて、Arsenal of Democracy (AoD) や Darkest Hour (DH) のような3rd partyによるゲームが開発されたり、日本語版を開発・発売していたサイバーフロント社が解散したりと、発売から長期間話題の尽きないゲームだった。
HoI2シリーズは自分の人生で最も長い時間プレイした、思い出のゲームでもある。
いつ消えてもおかしくないWikiという仕組み
春になると毎年Wikipedia(Wikimedia財団)から寄付のお願いのメールが来る。
いつも調べごとで便利に使わせてもらっているので、少額だが毎年寄付するようにしている。
Wikipediaはアクセス数が桁違いで相当なコストがかかっているはずだが、基本的にサステイナブルな仕組みである。
ユーザーが多いが故に、寄付してくれる人も、編集する人も沢山居る。
執筆されてから長期に渡って更新の無い項目も、情報が充実していれば百科事典を構成する重要な要素になる。製本された百科事典と異なり、日々情報が追記・更新されるため、時間経過に応じて価値が下がっていかない。
一方で、ゲーム攻略などのWikiには存続リスクが付きまとう。
Wikiの管理は有志によって行われていることが多い。有志の管理者にWikiを継続する義務も金銭的モチベーションも無い以上は、運営は個人的な関心に頼ったものになってしまう。
管理者が管理を放棄し、意図的かどうかに関わらずアクセス不能にしてしまったら、データをバックアップして移転することすら難しくなる。スパムや荒らし対策として編集が制限されたのち、管理者と連絡が付かなくなり、編集が行えなくなったケースも目にしたことがある。
また、共用ホスティングにPukiWiki等をインストールして運用している場合、共用ホスティングやドメインの契約更新が行われなければ、サイトにはアクセス出来なくなってしまう。
一方、無料のWikiサービスで運用されている場合も、いつWikiサービスの提供が終了されるか分からないし、独自実装のWikiサービスであれば、終了時にデータをエクスポートして移転することは難しいだろう。
失われたら二度と戻らないWebの世界
デジタルのメリットは容易にコピー出来ることだと言われる。
実際にはWeb上の情報というのは揮発性で、一度消えてしまうと再会はほぼ叶わない。
日本のジオシティーズが終了したのが大きな話題になった。
思い出のフリーゲームが配布されていたサイトはもう消えていて、例え最新のWindowsでも実行可能だとしても、どこからも入手出来ないなんてこともあった。
Internet Archiveで確認しても、サイトの一部のページしかクロールされていなくて、肝心のページが保存されていない、みたいなことも少なくない。Internet Archiveや検索エンジンのキャッシュが残っていても、残っているのはテキストだけで、画像や配布されていたアプリはダウンロード出来ないことが多い。
もし貴重な書籍を持っていれば、それが文化財等の形で保護されていない限り、他人に譲渡することが出来る。一方で、それが実体を伴わないデジタルデータの場合、コピーを持っていたとしても、勝手に譲渡すると著作権侵害となってしまう。かくして、一度失われた古いデータには復活の機会が与えられないまま完全に消失する。
現代という刹那的世界
偉人に関するドキュメンタリー番組では、しばしば「当時の日記にこう記されている」といって当時が振り返られる。現代の偉人のドキュメンタリーを数十年後に作ろうとしても、「当時SNSでこう呟いていた」というデータは恐らくどこにも残っていない。それに「当時の○○は友人の美味しそうなご飯の画像にいいねしている」なんてドキュメンタリーで語られたら噴き出してしまうだろう。
アルバムに残った子供の頃の写真は数が少なく、物理的に残っているからこそ、将来見返すことが出来るし、見返す価値があるとも言える。スマートフォンでいつでもどこでも好きなだけ写真が撮れる現代では、ほとんどの写真に残す程の価値は無いし、見返そうにも数十年後にデータが残っているかは疑問だ。
Web上には、新商品・新サービスが発表されたとか、商品のレビューが溢れている。時事ネタを扱った浅薄な新書が量産される。電子書籍であれば誰でも出版できるし、路上ライブなんてしなくても、曲を動画共有サイトにアップロードすれば、世界中に公開出来る。たとえ全く注目されなくても、費用をかけて作ったCDが売れ残ってしまう心配もしなくていい。
制作のための時間が節約出来る、専門家に頼らなくても良くなるなどの理由で、簡便化を実現するツールは大量に開発される。つまらないことに金銭的・時間的コストをかけずに、あなたのオリジナリティ・差別化要因に集中出来ますよ、ともっともらしい説明が添えられて。
大量生産・大量消費(と大量廃棄)はSDGsの観点から今や悪しき考え方として扱われる。しかし、生産されるプロダクトが物理的なモノからデジタルデータに変わり、生産されるモノが多様化しただけで、「大量生産・大量消費」は加速し続けている。消費しなければいけない量が多すぎて、動画を倍速再生しないといけないほどだ。
「生産性を高める」テクノロジーは、その代償として生み出されたモノを短命にしてしまう。短命に終わるが故に、新しいモノを短期間で生み出すための生産性向上が必要になる。ループに際限は無いが、人間の生産性向上にも消費速度向上にも限度がある。破綻の足音はゆっくりと近づいている。